1年前、車窓から見た東北。

 2010年8月14日から2010年9月13日まで、僕は32日かけて日本列島の海岸線を走破した。実家から借りてきたスズキ・SX4を朝から晩まで毎日運転し、38の都道府県を訪問した。移動距離は14,010km、給油回数は27回に及ぶ。宿泊場所は原則として車内。日曜日だけビジネスホテルを使用した。そうした日々の記録は、現地からブログに投稿し続けた。
http://d.hatena.ne.jp/samoa/searchdiary?of=30&word=%2A%5B%C6%FC%CB%DC%B0%EC%BC%FE%5D


 日本一周にあたって、目標にしていたことが2つある。
 第一に、本州四端を制覇すること。これは本州最北端の青森県・大間崎、本州最東端の岩手県・とどヶ崎、本州最南端の和歌山県・潮岬、本州最西端・毘沙ノ鼻をそれぞれ訪問することで達成した。
 第二に、「日本の渚百選」に指定されている海岸を可能な限り制覇すること。行程と地理的制約を考慮した結果、僕は72の海岸に足跡を残した。
 東京から千葉、茨城、福島と北上し、北海道の宗谷岬から南下を始める。常に進行方向の右側には海が見えていた。平均して1日400km以上運転するため当然疲れはあったが、毎日が興奮に溢れていた。
 僕は運転席にデジタルカメラを設置していた。運転しているときの景色も記録したかったからだ。他方、車外でも多くの写真を撮影した。今回はその一部を使いながら、当時を振り返ることにする。日本一周の2日目と3日目。僕は福島から青森へ移動していた。


2010年8月15日(日)


 午前11時8分、福島県いわき市
 塩屋埼灯台から「日本の渚百選」の薄磯海岸を俯瞰する。海水浴客の姿が目立った。


 午後0時54分、福島県大熊町
 国道6号線を走っていると、「長者原」という標識が付いた信号機を発見した。僕の出身地である福岡県にも同名の場所があることから興味を持ち、反射的に撮影した。ここから直線距離でわずか2.4km地点に福島第一原子力発電所があるとは、想像すらしていなかった。


 午後1時3分、福島県浪江町
 国道沿いにしまむらとパチンコ屋が並んでいた。地方でよく目にする光景だ。


 午後2時10分、福島県南相馬市
 田園地帯の交差点で、道路脇を彩る彼岸花を見た。撮影地点は「福島県南相馬市鹿島区南海老」で、県道74号線と県道266号線が重なる場所だ。Googleマップで最新の航空写真を検索したとき、思わず息を呑んだ。


 午後2時42分、福島県相馬市。
 「日本の渚百選」の1つ、大洲海岸は青く輝いていた。早くも旅のピークを迎えてしまったと思うくらい、この海は美しかった。


 午後6時27分、宮城県東松島市
 仙台市ネットブックを起動し、気仙沼市のビジネスホテルを予約した僕は国道45号線を走っていた。標識に記載されている野蒜築港とは、明治初期に建造された日本初の近代港湾だ。しかし完成から3年後、台風に伴う暴風雨で突堤が崩壊。跡地には記念碑が設置されているという。


 午後8時49分、宮城県気仙沼市
 このあと僕はビジネスホテルにチェックインした。


2010年8月16日(月)


 午前8時48分、宮城県気仙沼市
 気仙沼は平穏な朝を迎えていた。


 午前9時43分、岩手県陸前高田市
 気仙大橋を越えて市街地へ進む。この橋を渡ることは二度とない。


 午前10時6分、岩手県陸前高田市
 広田湾を臨む高田松原は「日本の渚百選」など多くのタイトルに選定されており、2009年には104万人の観光客が訪れたという。


 午後1時11分、岩手県山田町。
 本州最東端のとどヶ崎に向かうため通過した。ドコモショップやラーメン屋が立ち並ぶ風景は、日々の営みを如実に表している。


 午後5時14分、岩手県宮古市
 宮古駅の観光案内所で「本州最東端訪問証明書」を頂くため、市街地を訪れた。丁寧に対応してくれた係員のお姉さん。ナンバープレートに興味を持って話しかけてきたガソリンスタンドのおじさん。郵便局の駐車場に車を停めたとき、必死に駐車位置を調整している様子を見て苦笑していたおばさん。地元の方々とのちょっとした触れ合いが記憶に残っている。


 午後5時53分、岩手県宮古市
 「日本の渚百選」の1つ、浄土ヶ浜に足を運んだ。宮古市の代表的な景勝地で、鋭く尖った白い流紋岩が林立している。


 午後7時16分、岩手県田野畑村
 今日の目的地、青森県八戸市に向けて国道45号線をひた走る。ここは国道45号線の最高地点で、標高380mらしい。


 午後8時56分、青森県八戸市
 青森県八戸市に入った。市街地には午後10時すぎに到着した。


 ニュースを見ると、聞き覚えのある地名が登場する。そして同時に、現実とは思えない光景が目に入る。このギャップは、かつて現地を訪問したがゆえに生じるものだ。まったく地縁を持たない僕でも、現地の空気を吸った瞬間から東北は人生の一部分に関わった場所として認識される。こうした当事者意識が、旅の最大の産物ではないかと思う。
 記事で取り上げた場所の半分以上が、大きく形を変えたか、何もない状態に戻った。1年前、車窓から見た東北。過去の姿に、目指すべき未来の姿がある。