10日目/フィジー→ナウル

【現在地】ナウル(ネットカフェ)/気温30℃


【訪問した国の数】5カ国


【フライト】計7回


【搭乗記録】
 2011年2月16日(水)/Our Airline ナンディ → タラワ/ON602 NAN-TRW
 B737-300/搭乗率4割/オセアニア系7割、アジア系2割、欧米系1割。
  8:25 搭乗開始
  9:05 離陸
  9:30 機内食(卵焼き、ソーセージ、ハッシュドポテト、パン、いちごヨーグルト、フルーツ)
 *ドリンクは水、ジュース(アップル、オレンジ、パイン)、ビール(FIJI BITTER GOLD、CARTON MID)から選べる。食後に紅茶とコーヒーのサービスあり。
 *ここからナンディとの時差-1時間。ナンディが正午のときタラワは11時。日本は9時。
 11:00 着陸


 2011年2月16日(水)/Our Airline タラワ → ナウル/ON2 TRW-INU
 B737-300/搭乗率3割/オセアニア系7割、アジア系2割、欧米系1割。
 11:20 搭乗開始
 11:45 離陸
 12:00 入国カード配布・機内食(紅茶・コーヒー)
 12:50 着陸


 7時にチェックアウトしてクイーンズ・ロードを歩く。今日は9時のフライトでナウルに行くのだ。夜が明けたばかりで流しのタクシーはごくわずかだが、運良く発見して空港まで乗せてもらった。


 ナウルオセアニアの愛好家からすれば憧れの場所だ。理由の一つは渡航情報の少なさ。ビザはメルボルンナウル領事館で取れるらしい、でもビザは発給が滞っているらしい、それ以前にホテルの予約が必要らしい、など様々なウワサが飛び交っており確実な方法がはっきりしない。ただ、昨年の9月下旬にナウルを訪れた日本人、運び屋さんのブログには現地でも取得できると書かれている。その話を信じて自分は1月下旬にナウル行きの航空券をOur Airlineのウェブサイトで購入し、ホテルの予約もビザの申請もすることなく出発の朝を迎えた。期待と不安が入り交じり、昨日はあまり眠れなかった。


 7時過ぎ、タクシーはガソリンスタンドで給油してから空港に入った。駐機場に目を向けたところ、朝日に染まるOur Airlineの飛行機が見えた。これから乗るフライト、ON602の使用機材だ。Our Airlineはよくスケジュールが変わると聞くが、今日は無事に飛ぶようでちょっと安心した。問題は搭乗手続。ビザを持っていない自分はどう扱われるのだろう。緊張を見透かされないよう肩の力を抜いてカウンターに向かった。


 職員にパスポートとEチケットを手渡した。「タラワじゃなくてナウルまで行かれるんですね」と訊かれ、「そうです、ナウルまで行きます」と答える。彼の手元にある乗客名簿を覗くと、確かに自分の名前がある。ここまでは順調だ。「8時30分から搭乗が始まりますのでよろしくお願いします」。職員はそう言うと自分にパスポートとEチケット、そして航空券を差し出した。荷物も預かってくれた。ビザの有無はまったくチェックされていない。おお、これで少なくともナウル行きの飛行機には乗れるぞ!


 予定通り8時30分、搭乗が始まった。乗客たちがぞろぞろと列に並ぶ。半分以上がオセアニア系だが、アジア系もそこそこいる。彼ら彼女らは台湾人だろう。ナウルと台湾の外交関係は緊密だと聞いたことがある。日本人らしき乗客は他に誰もいなかった。タラップを上ってシートに座ると、それだけで一つの目的を達成した気分になった。


 飛行機は9時にナンディを離陸し、まず経由地のタラワに向かった。このフライトはナンディ(フィジー)からタラワ(キリバス)、ナウルホニアラソロモン諸島)を経て最終的にブリスベン(オーストラリア)に行くという。Our Airlineの前身であるAir Nauruは放漫経営がたたって一度潰れたが、数年前に名前を変えて復活。路線は抜本的に見直され、現在ではこの「各駅停車」便を1週間に1往復させるのみとなった。ナウルに入国するにはこの航空会社しか使えない。コンチネンタル・ミクロネシア航空だけが立ち寄るミクロネシア連邦を思い出した。


 11時、タラワに到着した。ここで乗客は一人残らず降機し、ナウルまで行く場合は待合室で休憩することになる。10人弱の乗客がキリバスに入国し、ナウル以降へ行く者は30人弱まで減った。旅行者と思われる乗客は自分を入れて数名ほど。欧米系は全員それらしき格好だった。先程まで乗っていた飛行機は便名をON602からON2に変え、11時45分にキリバスを発った。次はいよいよナウルに停まる。


 12時50分、ナウルに着いた。ナウル国際空港はキリバスのボンリキ国際空港と同様に小さいけれど、見た目は意外と新しい。さあ、勝負はこれからだ。パスポートと入国カードを握りしめてターミナルに進入し、入国審査の列に並ぶ。数分で自分の番が来た。パスポートを渡すと職員はパラパラとページを繰り、ナウルのビザを探す。そこで自分は「ビザは持っていないんです。これから手続に入るってことでいいでしょうか」と先手を打った。彼が口を開いた。「ではいったん預かりますんで後日オフィスまで取りに来てください」。やった!これでとりあえずナウルに入国できる!


 13時10分、荷物をピックアップして空港を出た。さっそくホテルに行きたいが、周囲にバスやタクシーは見当たらない。ナウルは次から次に課題を与える国家だ。自分は仕方なく島内一周道路に接続している道を歩き、ヒッチハイクを試みた。するとその直後、声をかけることなく1台の三菱・パジェロが目の前で停車した。運転手が言う。「暑いだろう、とりあえず乗りな」。さっそくナウルの人々に助けられた。お言葉に甘えてそのまま乗車し、ナウルの中心街であるアイウォ地区まで移動した。なお、空港や政府庁舎があるヤレン地区はナウルの事実上の首都だ。ナウルには形式的な首都は存在しない。


 数分後、Od-n Aiwo Hotelで車を降りた。送っていただいたご夫婦には心からお礼を申し上げた。さて、今日泊まる予定のOd-n Aiwo Hotelナウルに2つあるホテルの一つだ。郵便局やネットカフェに近く、何より価格が安い。滞在の前半はここで、後半はもう一方のホテルで過ごそうと考えている。さっそく中に入り、部屋を確保。シングル1泊70AUD(約5,810円)と高額だが、あらゆるモノが不足しているこの国では妥協するしかない。


 14時20分、外に出て周辺を散策することにした。ホテルの手前を通る島内一周道路から脇道に逸れて島の中央部へ進むと、砂埃が立ち上るプラントが見えた。かつてナウルを金持ち国家に育て上げたリン鉱石はとっくに枯渇したと思われがちだが、現在も採掘が続いている。もっとも、それは破綻したナウル経済を立て直せるほどの規模ではない。膨れ上がった借金を少しずつ返済するのがやっとだ。


 15時、今度は海側に足を運んだ。アイウォ地区の海岸には堤防が築かれ、その端では数人が釣りをしていた。北側に目を向けるとリン鉱石を貨物船に載せるためのブリッジが視界に入る。ただし、これは崩壊が進んでいるため現在は近場に設けられた新型のブリッジが使用されている。


 続いて中心街を歩いた。台湾大使館も入居するビルの1階ではスーパーマーケットとネットカフェが営業していた。スーパーマーケットの棚はスカスカで、生鮮食品は一つもない。自分は豪州産のミネラルウォーターだけ買った。600mlで1本1AUD(約83円)だから意外と安い。隣にも同じくらいのビルがあり、警察署や郵便局、携帯電話のショップが入っていた。なお、ナウルのほかオセアニア各国にネットワークを持つデジセル社はNTTドコモと提携しているため、ナウルではNTTドコモローミングサービスが利用できる。また、ネットカフェのPCは日本語の読み書きが不可だが、ラップトップを持ち込めばWiFiに接続できる。料金は備品を使う場合が1時間2.5AUD(約208円)、ラップトップを持ち込む場合は1時間2AUD(約166円)と手頃だ。2003年に他国とまったく連絡が取れなくなったことを思うと、この発展には目を見張るものがある。


 その後、ネットカフェで遊んでからホテルの1階にある中華料理屋で夕食を頂いた。値段は安く量が多い。味もそこそこ。食料の選択肢が極端に少ないこの国でなぜ実現できるのか不思議で仕方ない。そもそも、破綻国家のナウルで店を開くという発想からして凄い。華僑の底力を感じた。


 ナウル滞在は5泊6日の予定だ。明日はパスポートを取りに行ってから島の中央部を探索したい。


【参考】1AUD(オーストラリアドル)約83円